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小金沢・南大菩薩連嶺縦走  2014m  2005/06/01〜02



行く手に延々と連なる小金沢連嶺を眺める 狼平付近にて撮影


コース&タイム
1日目 所要時間;8時間30分
裂石大菩薩登山口8:00〜9:30上日川峠9:45〜11:25石丸峠11:50〜13:20小金沢山13:40〜黒岳15:30
〜15:50白谷ケ丸付近16:10〜16:30湯ノ沢峠避難小屋泊
2日目 所要時間;4時間30分
湯ノ沢峠5:20〜5:50大蔵高丸6:00〜ハマイバ丸6:30〜7:20大谷ケ丸7:30〜コンドウ丸8:30
〜曲り沢峠8:45〜9:50景徳院


石丸峠へ

ようやくたどり着いた石丸峠の標高はおよそ1940m である。
登山口の裂石から 1100mを稼いだ計算だ。
だが疲れはさほど自覚していない。
私のイメージでは、苦しい登りはここ石丸峠までで、この先は小金沢連嶺のなだらかな縦走路となり、いよいよ快適な稜線漫歩を楽しむべく、気持が高揚していたからである。
私は、初めての山域へ踏み込む際には、事前に地形図を念入りに読み込み、道程の様子をあらかじめイメージし頭に叩き込んでおく。
今までの経験では、このイメージと実際が大きく食い違ったことはあまりない。
小金沢連嶺の最高点は小金沢山の 2014mである。最高点まで残り僅かに70m余り、ホット一息つき、楽観的になるのは当然であった。
まして峠の周囲は、それまでの長く苦しい樹林帯の登りから一気に開放され、おおらかな草原となって視界が開け、山頂に雪を冠した南アルプス全山を真横から眺める景観に、疲れなど吹き飛んでしまった。
だが、峠から少し先へ進んだピーク〜天狗棚から眺めたこれから辿る縦走コースの稜線は、現在位置よりはるかに高く、行く先々の頭峰は思いのほか険しそうに見えた。
私は、自分で描いていたイメージとのあまりの違いに愕然とし、今しがたの楽観の思いが、たちまち落胆の思いに取って代わってしまった。どこかに誤算があったのだった。


中央自動車専用道、あるいは中央線で笹子トンネルを抜けると、天候が一変することをよく経験する。
笹子トンネルの真上にある、尖った山は笹子雁ガ腹摺山で、山頂から南に高度を下げて旧甲州街道の笹子峠に至り、再び御坂の山々へと高度を上げる。
一方、北に派生する山脈は高度を上げていき、1600m〜2000mの峭壁となって、大菩薩嶺へと繋がっていく。
これらの峰々が、武蔵の国と甲斐の国とを、人の往来はもちろん、気候さえ遮っているのだ。
この長大な山脈は、湯ノ沢峠を境にして、大菩薩峠へ連なる北側を小金沢連嶺、南側を南大菩薩連嶺と呼ばれている。
一昨年の秋、この山脈の南端に独立峰として聳える滝子山へ、古い友人のK.Oさんと登った。
その折、この山域の天然樹林の豊富さ・渓谷の美しさ・すぐれた眺望、そして延々と続く山並に惹かれて、私は何時かは小金沢・南大菩薩連嶺を縦走してみたい願望を抱いたのである。
登山の季節は、紅葉が美しく空気が澄む秋が一番だろうが、日暮れが早い時期でもあり、私には自信がない。とすると、新緑の五月末から入梅前の今しかチャンスはないのだった。


早朝4:00少し前、まだ暗いうちに大船の自宅を車で出た。
途中20号線の笹子トンネル手前で、前を走る建築鉄骨を過積載した大型トレーナーが上り坂で失速してしまい、自分も含めその後方車両が数珠繋ぎとなり、大和村の景徳院駐車場へ予定より10分遅れて到着した。
景徳院は、武田家終焉の地として知られ、その村営駐車場は無料で開放されている。
直ぐに支度を整え、ザックを背負い登山靴を履いて甲斐大和駅へと急ぐ。
思いのほか早い25分で駅に着き、7:13発松本行き電車に余裕を持って間に合った。
こうして、車〜徒歩〜電車の組み合わせによって、塩山駅から大菩薩登山口行始発バス7:28を利用することが可能となり、今回の計画が成り立っている。
そして都合が良いことに、明日の予定コース〜南大菩薩連嶺縦走コースから、車のデポ地である景徳院へ直接下山するルートがある。
我ながら、素晴らしいアイデアである。
塩山駅では登山客が多数降りたが、バスに乗ったのは私と同年輩の男性客、二人だけである。
皆、ゾロゾロと駅前のタクシー会社へ向かう。バスの運転手によると、今時麓から大菩薩へ登る客は珍しく、タクシー相乗りで上日川峠まで一気に上がってしまうらしい。また秩父山塊の玄関、大弛峠へタクシーを利用する客も多いのだそうだ。
終点の大菩薩登山口まで約30分、100円を払いバスを降りた。バーゲンセールのような乗車賃であるが、大変ありがたい。
私たちは、連れ立って歩き始めた。


「麓から歩くのは私たちだけらしいですね」私から口火を切った。
「登山者は皆タクシー乗り場へ移動したようです。実は相乗りなら私もそうしたくなりました」彼が応じた。
「でも、ここは2度目ですが、その時も下から歩いて反対側の丹波へ抜けました」彼は歩きながら続けた。
「ウァー、大した健脚ですね、向こうへ降りてからの足はどうされたのです?」私は聞き役に廻ることにした。
「イャー大したことないです、山を始めてまだ5年です。山を始めたキッカケはですね、定年まで10年を切った時に給料を半分に減らされまして、こりゃ本格的に金のかからない趣味を探さなければダメだ、と思ったわけです」
登山客を乗せたタクシーが我々を追い越して行った。まだ山道へ入る前の舗装道路である。
「そこで、手っ取り早く歩くことから始めようと、聖蹟桜ヶ丘から歩いて多摩川を下ってみたのです、アッ聖蹟桜ヶ丘はご存知ですか?私の住まいは日野なんですよ」
私の質問に対する回答になかなか至らない。
「知っています、京王線の駅ですよね、私は横浜です」
そしてなんと、彼はその日のうちに羽田まで歩いてしまったのだ。そして翌週羽田から聖蹟桜ヶ丘まで多摩川を上り返したと云う、これには私はあきれてしまった。
その後も彼は多摩川を歩き続け、今では最源流部の笠取山を残すのみと云う。
「結構歩けることがわかったものですから、奥多摩あたりの低山をうろうろしまして、次いで槍穂高を縦走しました」 と、彼はさりげなく云った。
私はまたまた驚いて、
「あの有名な大キレットを渡ったのですか?」と尋ねた。
私が山に詳しいことがわかり、いよいよ彼の話に熱が入ってきた。
「後から知ったのですが、長谷川ピークだの飛騨なきなどを通過したようです。そこで足がすくむということを初めて経験しました、なにせ自分の脳の命令に逆らって足が一歩も前へ出ないのです」
益々面白くなってきた。
「それでどうされました、引き返すのはもっと危ないでしょう」
「深呼吸して、念仏を唱えるしかないですね」
私はとうとう吹き出してしまった。
既に山道を大分登り、ブナの新緑が美しく、所々でヤマツツジが咲いていた。
山は歩いて価値がある。タクシーを使わなくて良かったのだ。お互いにこの考えで一致した。
「南岳に小屋があるのをご存知でしょう、立ち寄りましたら、これから先は14:30以降、入山禁止と書いてあるのです」
「そして小屋に置いてある雑書帳を見たら皆大変な決意を書いてあるのです、これから清水の舞台から飛び降ります、などと云うような。その意味は後になって知りました」
「何も知らない、ということは本当に恐ろしいことで、自分はまだ14:00だから大丈夫、と無謀にも出発してしまいました。あそこでは何人もの人が落ちたのでしょうね、落ちても不思議はないですよ」
彼はその後、岩稜へは行かないそうである。
こうしてお喋りしながら歩いたので、休憩なしの90分でいつのまにか上日川峠に着いてしまった。予定より30分も早い。
既にたくさんの車が駐車していたのが、正直腹立たしい。
名残惜しいがここで彼と別れて、私は一人で冒頭の石丸峠へと向かったのだった。


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