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青春18きっぷで行った山 八ヶ岳山麓飯盛山1643m  2006/08/24



山頂付近より平沢山への稜線を望む


コース&タイム
大船5:09=5:24横浜=東神奈川5:49=6:43八王子6:57=8:38甲府8:53=9:43小淵沢(季節運行)10:07=10:40野辺山
野辺山駅10:50〜宇宙電波観測所11:15〜11:35シシ岩11:45〜12:30山頂13:00〜平沢13:40〜 14:00国道トイレ(雨宿り、服絞り)14:30〜14:40清里駅
清里(季節運行)15:00=15:25小淵沢15:44=18:08高尾=以下省略


飯盛山はメシモリヤマと読む。別読のイイモリヤマは会津白虎隊最期の地として有名な場所、まぎらわしいので表題は、八ヶ岳山麓飯盛山とした。飯盛山は北に隣接している平沢山と一体となって、八ヶ岳山麓東側にこぢんまりとした山塊を形成している。
おむすび形をした山の特徴で山頂は視界が大きく開け、四方は八ヶ岳、秩父山塊、南アルプスなどの山々に囲まれ、その恵まれたロケーション故に、素晴らしい山岳展望を得ることができる。
標高は1600mを超えていて、それほど低いわけではないが、麓高原一帯の標高が1200〜1300mほどもあるので高低差は僅か300〜400m、低山的手軽さで多くのハイカーが訪れている。
私は2006年の夏、青春18キップを利用して、その飯盛山を歩いてきた。
小海線の野辺山側から登り清里へ下る、一般とは逆コースを選んだ。下山後に時間の余裕があれば、清里の町並みを見物するためである。 平沢山から山頂にかけての稜線一面はお花畑、そこを吹き抜ける風が爽やかで、とてもいいコースであった。 残念なことは、八ヶ岳は終日雲の中だったことだ。それどころか、下山中に凄まじい局地的豪雨と落雷に見舞われた。傘しか用意のない私はズブ濡れとなってしまった。


八王子松本間の中央線長距離各駅列車は、首都圏を基点とするJR幹線各線の中では、最も充実したダイアが組まれている。他幹線のように新幹線・特急中心にダイアが組まれ、18きっぷの利用客は虐げられるという思いが少ない。そのうえ、各駅列車と雖も走行スピードはなかなか速い。 そのために18きっぷでも大してストレスを感じないで目的地に到着できる。
小淵沢で小海線に乗り換える。夏場は季節列車が増発されていて乗り継ぎは悪くない。小海線ホームにはログハウス風の売店があり、高原の名産品などをステキなお姉さんが販売していた。
JR東日本のローカルジーゼル車は、深草色ツートンカラーの共通車体が使われているようだ。一昔前の振動と騒音が激しいジーゼル車両の面影は一掃されている。座席もなかなかの良いもので、首都圏通勤中距離列車のグリーン車よりむしろ乗り心地は良い。夏も終盤の時期だったが、車内は行楽客で賑わっていた。 小淵沢を出発した2両連結のジーゼル車は直ぐに大きく右にカーブし、八ヶ岳高原の森林を爽快に走り抜けていく。


登山口の野辺山はJR日本最高所の駅で、駅前に記念モニュメントがある。駅前周辺を覗いてから身支度し、立派な車道を南下する。周囲は高原野菜の一大産地だ。広大な畠が広がっている。 野菜の集荷は軽トラなどではとても間に合はないのだろう、前部に可動式の大型バケットを据えた大型トラクターが、野菜のダンボールを満載して頻繁に通過していく。近郊農家では見られない光景である。
宇宙電波観測所を過ぎ、野辺山スキー場への取り付け道路と分かれて、山道となる。緩やかに登り、直に駐車場のある展望台で車道と合流する。平沢峠で、その直ぐ上がシシ岩と呼ばれる場所である。晴れた日には八ヶ岳が大きく望まれる場所だ。 此処に駐車して山頂を往復するのが最短コースで、2時間あれば十分だ。
再び山道に入り、林の中を行く。少し傾斜がきつくなるがたいしたことはない。やがて平沢山を右に巻く道に出る。この辺りから山頂までは最も快適な本コースのハイライト、展望・野の花・高原の風、存分に味わってのんびりと歩いてください。 難点は、多くのハイカーは逆に歩いているということ。つまり、ハイカーと頻繁にすれ違い、その度に道を譲らなければならない。これは相当に煩わしいことではあります。
飯盛山山頂からの眺望は遮る物なし、存分に時間を掛けて味わってくださいまし。南アルプス・八ヶ岳に目が行きましょうが、此処からの奥秩父の山々、とりわけ小川山と瑞牆山 (ミズガキヤマ)が双耳峰のように並び見事でした。
山頂の標高について、はっきりしない。山頂標識には1643mと記されている。道路地図では1653mあるいは1658m、1/25000地形図には標高点の記入がない。等高線から測ると1640m台後半に見える。この山塊の最高点はおそらく平沢山で、1658mと思われる。

    
小海線のディーゼル車両、小淵沢駅にて          広大な山麓高原と奥秩父の山々


下山路は清里へ向かう。こちらの道は巾が広く整地されていて、登山道というよりは遊歩道の趣である。牧場の入り口付近で道は右折するのだが、沢沿いに直進する方向に踏み跡があり、そちらに小さく近道と表示されていた。 こういう場合、私はたいがい近道を選ぶ。近道は道が悪いのが相場である。ここも例外ではなかった。
暗い雲があっと云う間に広がり、とうとう降りだした。直ぐに大粒の雨となる。 たちまち狭い登山道は水流が迸る沢となる。やがて道は建物の際を下る。山道を嫌った私はそのロッジの敷地を横切ってしまい、ロッジ用の狭い車道を下った。この車道も、早くも川である。時折遠くに稲妻が光る。町道らしき道に突き当たり、私は左折した。左方向が下っていたからである。土砂降りの中、民家から婆さんが飛び出してきた。
「おっちゃん、何処いくだ、清里駅はアッチだぞ!!」大変な剣幕で怒鳴ってきた。
家の中から見張っていたのだろう、私は心底から感謝した。標識がないのでカンで方向を決めたのが間違いだった。 飯盛山を指す標識は時折見かけたが、清里駅を指す標識はついぞ見なかった。逆コースを選んだ不都合がこんなところにも現れた。だが、土砂降りの中地図を取り出し確認することは不可能だった。
道は一旦登り、S字を描くように下って川を橋で渡る。雨はたたきつけるように落ちてきて、折りたたみ傘だけの私は全身ずぶ濡れとなっていた。
橋の手前で突然至近距離に落雷した。


「濡れるぐらいなんでもないです。突然近くに雷が落ちてごらんなさい、何千ものフラッシュを一度に焚いたような閃光、イエそんな生易しい表現では足りません、貴方は病院で眼底検査を受けたことがおありでしょうか、そうです、あの時の閃光です、 そして間髪入れずに起こる凄まじい大音響、耳を劈く大轟音、誰だってブッタマゲますよ。 その凄まじい破壊力で天地が引き裂かれた気がいたしましたね。しばらく大気がビリビリと震えておりますよ。全身の毛が総立ちますよ。私の頭部には毛がないので、そこを除いて。でも、その震えを感じた瞬間に助かったと思いますよ。直撃されていない証拠ですから。意識がある証拠ですから。 そして直ぐに大変な恐怖が襲ってきますよ。何せ、次は何処に落ちるか予測は不可能ですから。 それから私は川になった道を必死で走りましたです。登り道をです。ハイ、道の真ん中を走りました。道の両側は大きな木が植わっておりますもんで。側撃雷の通電が恐ろしいもんで。傘ですか、傘は差したままです、閉じると水しぶきで目を開けておれませんよ。 数台の車が無情にも私の脇を抜いていきましたです。国道駐車場の公衆トイレに逃げ込むまで、全く生きた心地がしませんでしたね。 甲信越地方は雨の心配はいらないと予想した、軽いノリの気象予報士を、私は恨みましたね。こんな経験はもうコリゴリです」a-numata談。


ログハウス風の広い公衆トイレには先客が一人いた。男性だったので、私は服を全部脱いでぞうきんのように絞り、靴は逆さにして水切りした。滝のような雨の中、川のような道をビシャビシャと走ってきたので、ドロドロだった靴とズボンはすっかり洗濯されて綺麗になっていた。 レジ袋に入れザックに仕舞っておいたシャツは無事だった。速乾性のズボンは絞っておけば1時間で乾く。列車内で迷惑を掛けずに済みそうだった。
程なく雨は嘘のようにあがり、青空さえ垣間見えた。喉が渇ききっていた私は駅周辺で缶ビールを買い求めた。だが、清里駅周辺では缶ビールは販売しておりませんでした。アイスと氷とソフトクリームと牛乳ばっかりです。私は清里駅の売店を取り仕切っていたオギノヤを恨みました。 碓氷峠越えの信越線が廃線となり大打撃を受けた峠の釜飯"オギノヤ"、その後の大健闘に私は密かに敬意を表していただけに残念でした。 駅周辺のおきまり的な街づくりにもいささかガッカリさせられました。 私が清里駅を利用することはもう2度とないでしょう。缶ビールにありつけなかった腹いせで、私の清里に対するあらゆる印象が悪くなったのでした。 2006/08/31記 

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