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歩いて巡った 三浦七福神   2004/01/09


2004年初歩きは、三浦七福神を巡礼することにした。
さしたる理由はないが、丹沢方面は道がぬかっているようだし、住まい近くの市民の森では初歩きなどと威張れるほどのこともない。
三浦は暖かそうなことも選んだ理由の一つである。最近バスツァーで人気がある三浦七福神を徒歩で巡った場合、最短距離で約25KMほどのようである。所要時間7〜8時間程度と見込んで、計画を練ってみた。
私にとって七福神巡りは三浦に限らず始めてであり、行程としても平地をこれだけ歩くのは始めての試みであり、資料を調べるうちに次第に興味がそそられてきた。
また1月中に限り当地では七福神がご開帳されるという点も、なにやらもったいぶっているようでもあるが、ここは素直にありがたく受け取り、徒歩で巡った者にはご利益も格段多いに違いないなどと不埒な考えも浮かび、混雑する松の内や週末を避けて、好天が予想された1月9日(金)に実行することにした。
廻り順序は観光案内の順番通りとし、京急三浦海岸駅を出発地に、三崎口駅を到着地とする、三浦岬を時計廻りに一周するコースを取った。当然ながら一人巡礼、金剛杖の連れもなし。


円福寺
浄土宗鎌倉光明寺の末寺で1548年開山、本尊は阿弥陀如来像で他に地蔵菩薩像が安置されている。
境内には銀杏や槙の老木が茂り壮厳な趣が漂う。

金光恵比寿尊
漁夫が光る物体を海上で見つけて持ち帰り、旅の僧の諭しにより祀ったところ、豊漁が続いた。やがて、豊漁豊作の神として信仰されるようになった。

円福寺


恵比寿尊
  1、金光恵比寿尊(コンコウエビスソン) 〔円福寺〕

三浦海岸駅に8:00到着、地図を確認して8:05に出発。
予報通り好天気だが、風が強く冷たい。自然と早足となり、すぐに海岸通りに出た。この先金田湾、相模灘、相模湾側の数々の入り江など、海を眺めながらの行程となる。空気がクリアで房総の山々が間近に迫るが、さほどの迫力もなく低山ばかりが連なっている。
その中では真正面に聳える双耳峰の富山(トミサン)が目立ち、房総の山並の中ではひときわ高い。この山は以前に我が山温会で登頂した山でもあり、堂々とした姿を見るのは嬉しいものであった。
砂浜が続くこの辺りを下浦といい、車道を離れて砂浜の渚を歩くも良し、歩行者専用道を歩いても良し。快調な出足。朝日がまぶしい。ようやく体が温まってきた。
砂浜が終わると車道歩きとなり、小磯状の海岸沿いにカーブが続く道に変わる。幸い車の通行量は少ない。
道順の目安となる役場下バス停を過ぎた先、道祖神が佇む角に七福神の赤い幟が立てられていて、迷うことなく順路の枝道に進むことができた。幟は正月のこの時期だけ特別に立てられているようであるが、この後も目印として随分と役に立った。
下調べの時点から、三浦七福神各々は間道を曲がりくねった奥の隠れるような場所に在り、わかりにくいのではと心配していたのである。幟がないと探し当てるのに難儀しそうであった。
円福寺着;8:45
最初の七福神との対面が恵比寿様、大漁の神である。
海釣をたしなむ私としても豊漁を願わねばと、力が入る。
円福寺は鐘楼のある立派な寺、境内入り口ではミニ七福神の石像が出迎えてくれる。
朝早い境内の参拝者は私一人、ご朱印所の方と挨拶を交わし本殿を覗くが、恵比寿様が見当たらない。
キョロキョロと探すと、ご本尊よりもずっと手前の台座に僅か手のひらサイズの恵比寿様がチョコンと鎮座されていたのであった。
目過ごすところであった。



慈雲寺

臨済宗円覚寺派、1368年開山
本尊は薬師如来像

白浜毘沙門天

知恵と武勇の神であることから、厄除けの神として信仰されている。
毎年正月三日の18:00にありがたいお告げがあるとされ、大勢人が集まる。
近くの白浜海岸から出現したという

毘沙門天_1

毘沙門天_2

海南神社

982年現地に社殿が建立されて、三浦一族の総社となった。
祭神は菅原資盈とされている。

筌籠弁財天
鎌倉時代の武将が漂流した際、龍神に加護を求めたところ、筌を授かり魚を取って飢えをしのいだという。
筌(セン)とは竹カゴの漁具である。
弁財天は女神故に容姿・芸事の願いがかなうとされている。

海南神社
  2、白浜毘沙門天(シラハマビシャモンテン)〔慈雲寺〕

円福寺発;8:55、次の毘沙門天まではおよそ5Kmの長い道のり。金田漁港を過ぎ、道は海沿いから離れ丘陵地帯を緩やかに登っていく。民家がまばらとなり、大根畑の中を進む。農家では盛んに大根が干されていた。懐かしい風景である。
高台からは眺望が開け、左に房総半島が長く連なり、右に富士山が顔を出す。剣崎方面への分岐を見送り、江奈湾へ下り、再び海岸沿いの道となる。
湾内にある松輪漁港は、神奈川県内とは思えない地方の漁村の風情で、遠くへ旅したかのような錯覚におちいってしまいそうであった。
江奈湾を離れ、新道との分岐を間違えないように右の旧道を登り、道祖神が祭られ指導標識がある角を左折し、大根畑の農道を下ると雑木竹林の中に、毘沙門天を祀る小さなお堂がひっそりと現れた。
白浜毘沙門天着;10:05
ここは無人で、扉を開けて中を覗いていた時に、バスツァー客が2〜30人ゾロゾロとやってきて、お賽銭を乱暴に投げ込んで、中をジロリと一瞥し、面倒くさげに戻っていった。客の中には、こんなに歩かされて、と悪態をついている者もいた。
私は脇によけて彼らが通り過ぎるのを待ったが、挨拶する者はなく、最期の客もお堂の扉を閉めることさえしなかった。皆さん、何しに来たのですか?
 さて、薄暗く狭いお堂の中には毘沙門天像は見当たらず、毘沙門天と書かれた銘板が掲げられていた。
ご朱印を貰うには大分離れている本山の慈雲寺へ出向かなければならない。ご朱印帖を持たない私は本山の参拝は省略した。

3、筌籠弁財天(センリュウベンザイテン)〔海南神社〕

白浜毘沙門天発;10:15、ここを僅か下ると開けた平磯である。夏はバーベキューで賑う場所、私も随分前に家族で来たことがある。磯辺で小休止し、バス道路へ戻るのは止めて、磯伝いに進むことにした。再出発;10:30。
ここから次の目的地、海南神社までは本日最長行程の約6Km、だが岩礁歩き、小さな漁港、大きな風力発電塔二基が唸りをあげて廻っている眺望の良い公園、宮川湾を見下ろす高台、三崎の昔ながらの商店街などを次々と通過していったので、変化に富んで飽きることはなかった。
三崎の市街地に入り、日の出通り・すずらん通り・三崎銀座通りと名付けられた商店街を歩いてみた。小間物屋、荒物屋、靴屋、パン屋、服屋等々昔は何処の町でも見かけた懐かしい商店街が、この街では健在である。
食堂が数軒おきに営業していて、どこもマグロメニューを取り揃えているのがこの街らしい。
海南神社は街の中心部、バス停三崎港駅ロータリーから3分、狭い飲食街路地の突き当たりで、迷うことなく行き着くことができた。
到着;11:45。 女性の神がおわすここは華やかな雰囲気の場所。しかし、ここも手のひらサイズの顔も不明瞭な小さな弁財天像でありました。神事の最中であった為に、写真撮影は遠慮した。




見桃寺

臨済宗妙心派、源頼朝の別邸跡地に1628年開山された。本尊は釈迦如来像。
桃林布袋尊

布袋尊は10世紀に中国に実在した布袋和尚のこと。その姿の通りおおらかな神で、無病息災の守護神とされる。当山の桃林布袋尊の名は三代住職桃林禅師に由来する。

見桃寺


布袋尊

白髭神社

1500年代に漁民の網にかかった木像をご神体としている、航海安全の神である。境内に置かれているカンカン石は船主が奉納した船の錨である。

長安寿老人

中国の古い信仰で南極星の化身とされる。不老長寿の神である。

白髭神社
4、桃林布袋尊(トウリンホテイソン)〔見桃寺〕

海南神社発;11:50
マグロ料理の食堂が連なる三崎の街、それでなくとも疲労と空腹を覚え、立ち寄りたい誘惑が襲うのは当然のことであるが、食堂に入れば酒類抜きには済まされないだらしない自分の性格を充分自覚しての七福神巡礼、 本日は最後まで崇高な精神を保持し続けなければ完歩はおぼつかないと自らを諌め、次の目的地見桃寺へ向った。
そこを参拝後、持参した弁当を適当な海辺で食す算段であった。
漁業の町らしい冷凍倉庫群を抜けて、埋め立て工事中の横を通り、休業中の市営プールの先に小さな標識があり、案内に従って路地に進入し、少し行くと例の赤い幟が立てられていた。
しかし、周囲を見渡してもそれらしき寺が見当たらない。墓地があったので、その先へ進み地元の人に尋ねると、大分行き過ぎたようで、やはり幟の場所だと教えてくれた。
再び幟の場所へ戻るが、寺がない。ふと目の前の公民館のような建物に目をやると、表札に見桃寺と書かれていた。
見桃寺着;12:10
本堂を覗くと、中も公民館のような雰囲気で、仏座の両脇に折りたたみイスが並べられていて、ついたての陰では係りの方が食事をしていた。
大きなお腹の布袋尊は、ここでも手のひらサイズで、参拝者の目の前の台座にお神酒と共に祀られていた。

5、長安寿老人チョウアンジュロウジン〔白髭神社〕

海辺で軽く昼食休憩後、出発;12:30
次の白髭神社へは、諸磯湾・油壺湾・小網代湾と、風光明媚な「油壺入り江の道」と名付けられているプロムナードを行く。それぞれの入り江にはヨットハーバーがあり、緑の中に白色の洋風建物が調和し、写真で見る地中海の避暑地の風情である。
足の疲労は増すばかりだが、空腹を満たした後であり、また景色にも助けられて、元気は取り戻していた。
油壺へ至るバス道路に突き当たり、右手側からその道路を横断して小網代湾のシーボニアへ降りる道を行く。
小網代湾は漁船とヨットが混在して係留されている穏やかな入り江である。数人が釣をしていた。
この湾の奥、小道の行き止まりが、目指す白髭神社である。
白髭神社着;13:10
見桃寺から3Km余りの道程だが、この間は短く感じた。
ここまでに廻った寺社には、夫々ご神木のような大銀杏の木が多く見られたが、ここ白髭神社にも大木が屹立していた。
小さめの本堂を覗くと、寿老人の像は見当たらず、代わりに大きな白髭老人の絵が飾られていた。
私が本堂を観察している最中にまた団体客がゾロゾロと登ってきたので、あわてて下へ降り、やり過ごすことにした。彼らは相変わらず面倒くさそうに、お参りも早々に引き返していった。




妙音寺

高野山真言宗、開山は不明
1500年代に現在地に移築され、小田原北條の庇護を受けて栄えた。

鶴園福禄寿

福禄寿は幸福・財宝・長寿の三徳を有する贅沢な神。
山頂のお堂に三体が祀られ、うち一体は鶴を携えている。

妙音寺


鶴園福禄寿

延寿寺

日蓮宗、1309年日範上人により建立された。上人は百歳以上生きたとされ、寺名の由来となっている。

寿福大黒天

江戸時代文化年間の日龍上人の作とされ、食の神である。

延寿寺
  6、鶴園福禄寿(カクオンフクロクジュ)〔妙音寺〕
白髭神社発;13:15
次の妙音寺へは、一旦三崎口の駅前に出なければならない。
団体客の後に付いて車道に出るのも気が進まないことであり、少々廻り道ともなるので、思い切って神社の裏手から小磯伝いに無理矢理奥に進み、小網代の森を横断してみることにした。
小網代の森はアカテガニの産卵地として、自然愛好家には知られた場所。たいして広い区域ではないが、流れ出しから河口まで自然のままの流程が見られる貴重な所。以前から機会があれば訪れてみたいと思っていた場所であった。
ちょうど満潮の時間帯で湾最奥部へ到達するのに難儀したが、森に入ると、案の定、すぐに山道にぶつかった。不思議なことに土の山道を歩くと、疲れを感じないですむ。
道は何箇所かで分岐するが、雑木と竹林で見通しが利かないうえに、指導標識などもないので、自分の勘をたよりに方向を決めていった。
結局国道134号線の引橋付近に目論見通り出ることができた。
県道を行くより1Km近く行程を短縮できたようだ。
 三崎口の駅前を京急線に沿って下り、下りきった辺りで住宅街を戻るように進み、住宅街を抜けたさらに奥に目指す妙音寺があった。
例の赤い幟がここは立てられていないので、わかりにくい。
広い駐車場があり、ツァーのバスが2台駐車していた。
妙音寺着;14:20
妙音寺は立派なお寺。境内も広い。境内には四季折々の花が植えられていて人気があるようだ。この時期はスイセンが咲いていた。
ここは、本堂の内・外を一巡することにより四国八十八箇所巡礼が二回出来てしまう面白い趣向が用意されている。
本堂内には八十八の掛け軸とその下に同数の座布団が敷かれ、その座布団には四国霊場境内の砂がそれぞれ縫い込まれているという。参拝者は経を唱えながら次々と座布団に足を掛けていくことによって巡礼が一回完了する。
庭の法面に四国霊場にちなんだ石像八十八体が安置されており、順に参拝していけば、二回目の八十八箇所巡礼が完了してしまう。
さて、福禄寿は本堂でなく、階段を数十段も上がった高台の小さなお堂に祀られていて、なかなか立派な像であった。
これで残すところ一箇所となったが、私は大分疲れてしまい、下の休憩所で20分ほど休息した。

7、寿福大黒天ジュフクダイコクテン〔延寿寺〕

妙音寺発;14:45
最後の七福神、延寿寺へは一旦三崎口駅まで戻り、変哲もない国道を下る。進入道路を歩いていると、先ほどのツァーバスが早々と参拝を終えてすれ違い、乗客が皆私を見ていて気恥ずかしい。
大黒天は本堂の最奥に祭られていて、姿形がはっきりとは観察できなかった。
再び三崎口駅へ戻り着いた時には、私は疲れ果ててしまっていた。
延寿寺着;15:25、三崎口駅着;15:55。


タイムデーター

三浦海岸駅;8:05〜8:45金光恵比寿尊〔円福寺〕3km、 40分
円福寺;8:55〜10:05白浜毘沙門天〔慈雲字慈〕5km、 70分
白浜毘沙門天;10:10〜休憩;10:30〜11:45筌籠弁財天〔海南神社〕6km、 75分
海南神社;11:50〜12:10桃林布袋尊〔見桃寺〕1km、 15分
見桃寺;12:15〜休憩;12:30〜13:10長安寿老人〔白髭神社〕3,5km、45分
白髭神社;13:15〜14:20鶴園福禄寿〔妙音寺〕4,5km、65分
妙音寺;14:45〜15:25寿福大黒天〔延寿寺〕3km、 40分
延寿寺;15:30〜15:55三崎口駅 2km、 25分
合   計;28km、7時間50分 (距離は地図上計測による)


エピローグ

今回の七福神巡礼が価値ある試みであったかどうかは、現時点では何ともいえません。
登山の直後のような充実感がないのも否めませんが、こうして紀行を書いていると楽しく思い出します。
登山で7〜8時間の行程は普通のことですが、標高差のほとんどない今回のコースと雖も、車道や市街地を長時間歩くことは思いのほか疲れ、その疲労度合いは登山と大差ない気がいたしました。
いえ、疲れ方が違うのかもしれません。平地を長時間サッサッと歩くことは、登山にはない歩き方です。
四国八十八霊場1450Kmの徒歩巡礼は容易ならざること、を今回の経験で悟りました。私なら体力限界のペースで毎日歩いても50日かかります。
そして、42Kmを2時間数分で走りぬく、マラソン選手も驚異的存在であることを実感いたしました。
また、徒歩に限らず自力でようやくたどり着いた目的地は必然的に丁寧に見学し、それに比してバスツァー客の怠惰な態度はどうでしょうか。
バスツァーを利用する機会がないではない自分も気をつけねば、との思いを新たにいたしました。

2004.01.15 掲載

no.4 登山トレーニングへ , no.3 三浦七福神 , no.2 転落(日蔭沢〜大室山)へ