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礼文・利尻紀行  2002/04/24〜26


我々が利尻・礼文の2島を訪れた4月下旬は、こちら横浜では桜が散り若葉が萌え出す時期だ。
ところがさすがに最果ての北の島、そこは未だに冬の気配が濃厚だった。
礼文島は花の浮き島と呼ばれ、最高点490mの比較的平坦でたおやかな草原の島である。
南北に29km、東西に8kmほどの細長い地形で、三千数百人が主に観光と漁業を生業とし暮らしている。
一方、海からいきなり嶮しい稜線を引く利尻島、こちらは島全体が一つの山を形成している。
日本百名山に選ばれている標高1719mの利尻岳、別名利尻富士がそれである。
他に遮る物無い海上に聳える利尻島は遠方から良く確認できる。
特にサロベツ原野から眺める利尻島は、海の彼方に浮かび聳える巨大な城のようで、
まるでシンキロウを見るように霞み、荒涼とした原野を前景に、強く印象付けられた。
利尻島の面積・人口は、ともに礼文島の2倍を少し超える規模で、主たる産業は同じく観光と漁業である。
夏のシーズンには両島ともに観光客が大挙して押し寄せ、利尻岳を目指す登山者も多い。
それにしても、我が国最北端に隣り合わせながら、随分と情景の異なる2島であった。


  
   稚内と利尻・礼文の連絡線、東日本海フェリー


稚内から礼文島へ向かうフェリーは一日に僅か2〜3便である。
第一便は、夜も開けきらない6時台前半(当時)の出航で、我々もその便を利用した。
宿の朝食は、なんと4:30 から取ることができた。
この船の利用客が多いのを見越して、こちらの宿では当たり前のようだ。


  
   船内乗客の様子


観光シーズンからほど遠い、当日の船内の様子はいたって和やかだった。
しかし、夏のシーズンには、船内は人でごったがえし、通路さえ足の踏み場もないそうな。
おまけに、航海は荒波で大揺れが続き、船はあたかも難民を満載した密航船の様相を呈し、
船内には甘酸っぱい臭いが充満し、阿鼻叫喚の長い長い2時間となるような。
その時期にお出かけの節はご覚悟ください。




礼 文 島


  
   我が国最北限スコトン岬


スコトン岬から、澄んだ日にはサハリンが間近く望めると云う。
緯度で見る限り、我が国最北端は宗谷岬だが、北の極限地としては、こちらの方が相応しい。
スコトンを起点とし、礼文島を縦断するハイキングコースがある。
8時間以上のつらいロングコースだが、
互いに励まし踏破した見ず知らずの旅人たちは、古い友人の如く親しくなると云う。


  
   元地【地蔵岩】


礼文島南西部の海岸は、切り立っている。地蔵岩はそのシンボルである。
付近の浜辺はメノウ海岸と俗に呼ばれ、小さなメノウの原石を拾えるようだ。
展望地への散策路は、常時冷たい偏西風が吹き荒れている。


  
   最果ての漁村、礼文島元地


漁はコンブとウニ、魚はホッケ。鰊は何処へいったやらの状況は、今も続いている。
この地方独特の保存食、ホッケの糠ズケを干したもの‘糠ボッケ’は珍味だった。




利 尻 島


  
   オタドマリ沼から利尻岳


細長い礼文島に比して、利尻島は円形である。円の中心に利尻岳山頂がある。
島の海岸沿いに外周道路が通じ、一周すると様々な山の表情と出会うことが出来る。
礼文香深(カブカ)から利尻鴛泊(オシドマリ)まで連絡船で40分だ。船は利尻岳を正面に進む。


  
   宿泊した沓形の町並み、海の向こうに礼文島が浮かぶ


沓形での宿泊先は【ホテル利尻】、利尻町営の整った宿で、オフシーズンは手頃な値段で利用できる。
食事は豪華とは云えないが、地の物中心でなかなかおいしいものだった。
ところで、島では夏場の宿泊料はどこでも通常期の倍以上が相場だ。それでも宿を確保できれば上々だ。
礼文島への連絡船は此処沓形(クツカタ)の港からも発着する。稚内へは鴛泊港から船が出る。


  
   利尻富士を背に島を去る。群飛ぶゴメ(ウミネコ・カモメ)が船と共に本島へ渡った。


2006/05/18掲載

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