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北アルプス 薬師岳紀行   2926m  1999/08/02


弥陀ケ原越に望む薬師岳


コース;折立〜太郎兵衛平〜薬師峠〜薬師岳山荘(泊)〜山頂〜往路下山
所要時間;一日目〜8時間50分、二日目〜7時間15分


 5:30富山駅発折立行、シーズン限定運行の富山地鉄バス直行便を予約しておいた。
バスは全員着席運行で完全予約制、当日は平日だが夏山シーズンとあって登山客で満席であった。
最後列の座席が荷物用に留保されていて大きなザックが積み上げられていく。
荷物は10kg以上が別料金であり、各々のザックが次々に秤に載せられ、重量別に加算料金を徴収されていく。
自分のザックはギリギリ9kg台で追徴されずに済んだ。直前にポトルの水を捨てたのが成功した。
大方の客は高額な荷物代を徴収されていた。
私はザックを抱くようにして座ることにした。なかには40kgを越えるザックもあり、係員と客2人掛りでやっと秤に乗せているのを驚きながら見物したばかりである。
キャシャな自分のザックは荷物席に下積みされたら潰されてしまう!
早朝にかかわらず、駅前にはたくさんの登山者がたむろしていた。この後に出る室堂行き直行バスや富山地鉄の始発を待つ人たちであろう。
皆どうやってここへ来ることが出来たのか? 大阪、東京両方面からの夜行列車が先ほど相次いで富山駅に到着していたのであった。
 
 バスは古い中型車で座席間隔が狭く、長時間は乗りたくないタイプである。
しばらくは富山平野の田園地帯をひた走る。稲穂が早くも色づいて頭を垂れている。車窓からは北アルプスの高峰群が峭壁となって平野部から一気に屹立しているのが眺められる。
富山ならではの景色である。目が釘付けになる。これから行く薬師岳があまりに高く大きい。
あそこまで本当にいけるのだろうか。
 バスは完全予約の直行便のはずだが、富山地方鉄道の有峰口駅に立ち寄った。
ここでさらに十数人ほど乗り込んできた。着席運行のために全員通路に座らせられる。ドァーステップにも1人座る。
どうやら立山駅周辺の無料駐車場に車をデポし、上り始発電車でここまでやって来た客の便宜を図っているようだ。
 ここから山道だが、本来のルートである有峰湖への有料道路が工事のために通行止めで、大きく迂回する小口川林道経由で運行されていた。
この道は悪く、対向車とのすれ違いが困難であり、見通しの利かないカーブが連続する。
バスは山腹を縫うようにゆっくりと慎重に登っていく。急カーブに差し掛かると、車輪を崖からはみ出すようにして曲がっていく。
最前列席の自分は緊張して寝てなどいられるわけも無い。通路に座らされた客は体を前後左右に揺さぶられ続けている。
車窓の景色は谷間を走行するために、思いのほか開けてこない。まして通路の客は景色を楽しむことなどとてもできる状態でない。
定員超過の車内は静まり返っている。皆ひたすらに耐えているようだ。
気分が悪くなった者が一人でも訴え出れば、たちまち車内中に伝播しそうであった。
小さな人造湖の上部にある峠を乗越し、眼下に有峰湖が見え隠れしだした。
ようやく車内に安堵感が漂い、ザワついてきた。折立着8:30、有峰口から2時間足らずの試練であった。

高峰名山の多い富山県だが、なかでも古くから崇められ、あるいは恐れられていた霊山が三山ある。
日本海側から剱岳、立山、そして薬師岳である。
剱岳は岩の殿堂として知られ、登山者にとってはあこがれの山である。その峻嶮さは格別である。
それだけに遭難も多い。
登頂は明治後期に陸地測量部が苦労の末成し遂げたのが記録に残る最初ものであるが、その折、人跡未踏とされた山頂で、古びた錫杖が発見されており、嘗て何者かが山頂を踏んだことが認められた。
古来より立山が聖地とされたのに対して、剱は登ることのできない邪悪の山として恐れられていたのであったが。
立山は古くから信仰の山であり、そして今では観光の山でもある。日本では数少ない3000m級の山頂を室堂から気楽に登れる山として人気が高い。
3003mの雄山絶頂には立派な社があり、その手前にある鳥居から先はお布施を施した者のみに参拝を許される。それでも人々は列をなして参拝する。まさに神様々の山である。
霊峰と言われる富士山と同様に商売気の多い山ではある。
 薬師岳はどうか?
この固有名詞は全国に点在し、山好きの人でも富山県奥地、黒部川最上流域の薬師岳を思い起こす人は少ないようである。
しかし山好きな人が一度この頂を捉えたならば、山名を糺さずにいられないであろう。そしていつかは登ろうと思わずにはいられまい。私もまたそうであった。
高山でありながら、この山のたおやかな姿には魅力があり、存在感がある。群立する山々を圧倒する。北アルプス特有の峻嶮なる山々とは明らかに異なる山容で、根張り豊かな懐は緑が深い。堂々とした山である。
まして山頂を踏んだ者にとっては、近隣各県のあらゆる山頂から、展望さえ利けば、たやすくこの山を特定できてしまうに違いない。それだけ個性的で大きい。そしてそれだけ愛着を持ってしまう。
「その重量感のあるドッシリした山容は、北アルプス随一である。ただノッソリと大きいだけではない。厳とした気品もそなえている」日本百名山の深田 久弥氏は、薬師岳をこう評した。
薬師岳の山頂には、今は湖底に沈む有峰の集落の人々により、嘗て手厚く祭られた小さな祠が、今なお守り続けられている。薬師如来を祭ったものであろう。里の人々は、立山とは異なり、この山を地域発展のために喧伝利用することはなく、地元住民だけで静かに崇め奉ってきたのである。
この山をこよなく愛した一人、山岳紀行随筆の草分けである文学者、田部 重治氏は雲ノ平及び薬師岳登山の基地となっている太郎兵衛小屋の表札を自署し、現在も小屋に掲げられている。
氏は、薬師岳に登頂して周囲の山々を俯瞰して感動のあまり「いままでの自分の山に対しての思いがいかに貧しかったかを初めて悟った」と述べている。
そして多くの登山者が薬師岳山頂からの眺望は東洋一と絶賛している。

さて、到着した折立は明るく開けたさわやかな高原状のところで、キャンプ場があり、売店・トイレがある。水も豊富で冷たい。標高は1000mを優に超えている。登山届けをここで出す。ここから太郎兵衛小屋までしばらく水場がないので、ペットポトル1.5Lに汲んでおく。
バス車内で朝食が取れる状況ではなかったので、ここでむすびを食べた。バスから降りた登山客総勢50名程は、思い思いに支度し、素早く出立する組もあるが、グズグズとしている組も多い。私も手間取ってしまったが、まだ半数近くの登山者が残っていた。
 8:50出立 ここから太郎兵衛平まで標準タイムで5時間の長い1本道、標高差約1200m、全員同じ道を辿る。いきなり勾配の急な登りで始まり、慣れない体にきつい。陽射しは強いが、既にそれなりの高度があり、樹林のなかを行くので日が遮られ、空気がさわやかに感ずる。
ゆっくりと歩を進め、汗ばんでくる頃に調子が上がってきた。
三角点のある1870m峰から先は勾配が緩やかになってきた。植林帯を一旦下り、登り返した所が2196m峰、広大な弥陀ケ原・大日連山が見渡せる。樹林帯を抜けて広々とした草原状を緩やかに登っていく。
陽射しを遮る物が無くなってしまった。
私は相変わらずのゆっくりペースだが、普段と異なり、追い抜かれる人よりも追い抜く人のほうが断然多いのには驚いてしまった。もっともなんの不思議もないのである。彼等の荷は私の数倍も重いに違いなかったからである。
この道は言わば山の幹線道路で、北アルプス有数のキャンプ基地がある雲ノ平への入り口でもあり、また穂高・槍への大縦走ルートでもある。当然彼等は重装備となる。重装備を背負った彼等の歩みは気の毒なぐらい遅い。下を向いて1歩1歩ノロノロと亀のように進んでいく。苦行そのものである。
挨拶を交わす際に顔を上げることさえできない。顔が苦痛に歪んでいるのであろうか?
途中から女性2人組と一緒に歩く。私とペースがちょうど同じで、休憩も同じタイミング、何時まで経っても一緒である。彼女らは太郎兵衛小屋で泊まるとのこと、同宿を誘われたが、翌日の行程がきつくなるので、未練がましくお断りした。
太郎兵衛小屋まで距離は長いが、安全で快適な登山道であった。
 

12:30太郎兵衛小屋に到着。3時間40分と標準の5時間を大幅に短縮してしまった。登山地図の標準タイムは、このコースでの平均的な荷を担いで登ることを前提にしているようだ。
多様な登山者が参考にするので、安全側に立つのは当然である。荷の軽い私が時間を大幅に短縮できたのは当然のことであった。
小屋周辺は広々とした草原で、太郎兵衛平という。標高は2300mほどの高原である。草原の先は黒部川に底知れず落ちていく。ここには爽やかな高原の風が吹き渡る。休んでいるとスッと汗が引く。いつのまに季節は秋に移ろいだかのような気がしてしまう。
ここから本日初めて北アルプスの核心部、雲ノ平を囲む高峰をグルリと見渡すことができた。左から水晶岳、鷲羽、三俣蓮華、黒部五郎、上ノ岳などである。
遠方には槍穂高、笠ケ岳、乗鞍、さらに木曾の御岳山も霞み見える。これから登る薬師岳は東南稜が垣間見える。私にとって、憧れの山ばかりである。後方を振り返ると、歩いてきた登山道を登山者が点々と喘いでいるのが認められる。
励ましたい気持ちと同時に優越感に浸る。時間を短縮できたことでもあり、我慢できずに小屋で缶ビールを購入し、ピーナツをつまみにゆっくりと飲みながら、景色に見とれてしまった。そして山々と初対面の挨拶を交わした。


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